現在、アメリカに拠点を作るための活動を行なっている。
このブログもロサンゼルスからの帰りの飛行機の中で書いており、プロジェクトが始まってから今回が4回目の渡米となる。
今回は、アメリカに工場を作ろうと思った理由について記したい。
先ずは僕の立場について簡単に説明しようと思う。
現在中小企業の製造業で営業マンとして働いている。
会社の社長が父親であり、母と兄も同じ会社で働いている。
日本と中国に拠点を持っており、グループ総数で約100人規模の会社だ。
2018年の夏頃にアメリカに工場を作りたい旨を話し、了承をもらい、現在プロジェクトを進めている。
アメリカへの拠点設立に関しては、会社としての理由と、個人としての理由があり、順番に話していきたいと思う。
会社としての理由は、大きく2つ。
1つ目は自社の技術をもっと広いマーケットに挑戦させたいという理由だ。
弊社はプロトタイプ品を専門に作る会社であり、特にプロトタイプの中でもプラスチック製透明品を得意としている。
国内の業界ではかなり認知が進んだため、アメリカのマーケットへ挑戦してみたいと考えているのだ。
2つ目は日本の市場の縮小である。
人口の減少に伴い、あらゆる産業が縮小傾向にある。
我々の試作業界も例外なく、その波を受けることになるだろう。
おそらく5年、10年先は国内産業だけでもやっていけると思うが、20年先を考えた時、
少ない需要をとりあう、かなり厳しい環境が待っているだろう。
次に個人としての理由だ。
そもそも海外拠点の設立は、5年前に入社した当時から考えていた。
前職を辞める際、尊敬していた上司から、製造業をやるなら海外に拠点をつくれとアドバイスをもらっていたし、元々学生の時から海外で働いてみたいとも思っていた。
ただ、あと15年くらい経ち、自分達の代になってからやればいいやと思っていた。
そんな考えを変えさせたのが、同年代のビジネスパーソンの活躍だ。
僕は1988年生まれで、現在30歳である。
88年生まれの有名人と言えば、野球の田中まーくんや、サッカーの吉田選手、歌手の加藤ミリヤさんなど沢山いる。
だいたい有名になる奴はアスリートかアーティストだった。
しかしここ数年、ビジネスの世界で名前を馳せている同年代が増えてきている。
その活躍に大きな刺激をもらい、アメリカ拠点設立の計画をスタートさせるに至ったわけだ。
そのため、アメリカに既に仕事がある訳ではない。
小さな工場の設立からスタートし、現地で地道な営業活動を続けていく必要がある。
中小企業が単独でアメリカに出るなんて無謀だ、という人もいる。
だが、そんなことはやってみないと分からないし、リスクをとった挑戦に値する価値は絶対にあると思っている。
会社としても、個人としても、成長し、成功できるよう頑張りたい。